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 ドイツ・マンハイム





参考文献

井上太郎著
「旅路のアマデウス」
ドイツ・ マンハイム

アウクスブルクを1777年10月26日に発ったモーツァルト母子は30日の夕刻にマンハイムに着く。
ライン川とネッカー川の合流点にあるこの地を訪れたのは14年ぶりのことだった。
プファルツ選帝候領の首都マンハイムの君主カール・テオドールは芸術文化に造詣の深い名君
として知られ、特にドイツ文化全般の推進に力を入れていた。
これはこの地にドイツ最大のバロック風宮殿を建て、ドイツ人を主体とした優秀な宮廷オーケストラを
作った先代の選帝候カール・フィリップの意志を継ぐものであった。・・井上太郎著「旅路のアマデウス」より


選帝候宮殿


 このとき、モーツァルトはマンハイムに母親と5ヶ月滞在。
この間、選帝候に雇用を嘆願するも、叶わなかった。
また、アロイージア・ウェーバーに出会った。

マンハイムで作曲した曲
フルート協奏曲(2曲)
フルート四重奏曲(K285 K285a K285b)
ヴァイオリンソナタ(K301 K302 K296)


イエズス会教会



シュヴェッツィンゲン城(離宮)





1763年、神童モーツァルトはここで御前演奏した。
1777年(パリ旅行の途中)、1790年(フランクフルトからの帰り道)にも訪問している


城内にあるロココ劇場 毎年、シュヴェッツィンゲン音楽祭が開催されている



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